平成12年2月14日
今週は先週に引き続いて”JAPAN TIMES”の中から、興味深い記事をご紹介したいと思います。「標的の狩人〜スナイパーのスコープからみた生と死」(2月13日9面)という特集記事です。日本全国探してもスナイパーとして実際に引き金を引き続けた人はいないでしょう。単なる暗殺者ではなく、軍の中で訓練を受け戦場で実戦に臨む、そして引き金を引き続け、生き続ける人間の人生とはどんなものか興味を持ちました。
「引き金を引いた瞬間、感覚は時間を超える、目・耳・匂い全てがである。視界が一気に広がるので、すべてを見ることができる、他の時には嗅ぐことのできない匂いまで」〜見出し的に拡大してあったスナイパーの言葉です。主人公のスナイパーは1968年から69年にかけてベトナム戦争に従軍しました。ちょうどテト攻勢でベトナム戦争の転換点といわれる時期です。この間確認されただけで103人、未確認が216人のべトコンを射殺したわけです。あとにも先にもこの記録が破られることはないでしょう。
彼の言葉を抜粋してみます。「訓練された通り実行しただけだ。」「いったんべトコンを照準器にとらえたら、殺される前に倒すことが私の仕事だ。」「決して彼らの目は見ない、そうすると彼らに妻や子どもがいるかどうかなど止まって考えることなど決してしない。」戦いの厳しさを実感させられる言葉です。戦いは300mから700mで行われますが、かれは900m以上でも射撃に自信を持っています。「自分を殺そうと思っている別の人間を探して殺す」という人間にとって最大のストレスを生き残った彼が、今どうして公の場で証言することになったのでしょうか。彼の言葉を借りますと、第一に、血に飢えた暗殺者というスナイパーのイメージを変えるためだそうです。スナイパーはリーダーを倒すことによってより多くの生命を救うこともできるわけです。第二に、いつの日か同じような人間がしゃべりやすくするためだそうです。彼は今海兵隊の訓練校で教えています。
「よいスナイパーになる3つのルール、それは訓練、訓練、訓練!。」中国の諺に「一人の人間を殺せば、千人の人間を恐れさすことができる」とあります。彼はまさに自分が戦場で生き残るために全力を尽くしたわけですが、私は彼の身につけた技術の偉大さと、やはり悲惨な戦場を生む政治の責任の重さを痛感いたしました。彼は現在森林保護の保安官をしているそうです。
(今週の活動)
2月7日(月) 中電プラント勉強会
2月8日(火) 未来潮流レポート作成
2月9日(水) 生涯学習特別委員会
2月10日(木) 南一誠ロマンコンサート
2月11日(金) 埼玉県医師会野村先生
2月12日(土) 爽やかネットワーク訪問
2月13日(日) 中国舞踊大会
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