平成12年3月31日
最近久しぶりに三島由紀夫の小説を読みました。学生時代に傾倒し、防衛大学校の哲学の時間に教授が「日本的心情論」の代表として、三島由紀夫を熱っぽく語るのを聞いて、ますますのめり込み文庫本で出版されている小説はほぼ全部読みました。
今回の「絹と明察」は昭和29年にはじまる近江絹糸の「人権スト」を題材にしたものです。この本を手にとって読もうと思ったのは、いわゆる組合運動を西欧的知性と捉え、日本的な家族主義的経営というものをつき崩していく過程を描いていたからです。「人権」を真正面から訴えるかつての組合運動というものを知りたかったこと、また日本的経営を考えることもできると一瞬で判断し、読み始めました。私は、芸術作品の存在意義は「先見性」にあると思っています。絵でも音楽でも、何か「未来を予見させるもの」がなければその作品の価値はないと思います。名作といわれるものも、私はそういった視点から鑑賞するよう努めています。この「絹と明察」は、作者自身の言葉を借りると、「日本及び日本人というものと、父親の問題、(中略)、つまり男性的権威の一番支配的なものであり、いつも息子から攻撃をうけ、滅びてゆくものを描こうとしたものです」。
「自由・平等・平和」という女性的な価値観が支配的な今日、男性的な概念である「服従・権威・戦い」の中にこそ幸福があるという捉え方、そして社会のいろいろな矛盾を一手に引き受けて飲みこんで、大事なことを自己の責任で決定できる父親的な存在(家族であれば父親、会社であれば社長)があるという安定した日本型社会の崩壊を見ていたのだと思います。
印象的なフレーズは、「自分の力で考えるなどという恐ろしい負荷を駒沢(近江絹糸の社長)が代わりに負ってやっている」、「幸福とは、あたかも顔のように人の目からしか正確には見えないものなのに、自分で幸福を味わおうとして狂気になった(ストライキのこと)、幸福であろう自分を見るためにぶつかるのはいつも鏡でしかない」「大きな美しい家族」といったものです。
日本的なもの、父親・父権、家族、幸福観等、三島の死後今ごろになって論じられていることが、組合運動という現代的な現象を通じて、見事に予見されていると感じました。この作品は晩年のもので、この後「豊饒の海」を書いて、割腹自殺を遂げることになります。
(今週の活動)
3月27日(月) 未来潮流レポート作成
3月28日(火) 音戸町議選へ応援
3月29日(水) 松下塾宮田塾長慰労会東京
3月30日(木) 東京
3月31日(金) 異業種交流会出席
4月1日(土) 家族で国際交流サークルへ
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