こうじマガジン 2001.8.8  
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★ こうじマガジン特別号 ★

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「豊島・牛窓に行って来ました。」

8月2,3日と豊島・牛窓見学会と称して、
元宇品の方々9名、
私が尊敬する元広島市議で
現在広島地方行政研究所を主催されている山口先生他2名、
今通っている広島大学大学院マネジメント専攻より
松川教授他1名、南区選出の広島市議2名と
合計17名で行って来ました。

1日目の豊島(香川県)には、
広島テレビ、RCCの取材班6名も同行していたので、
バス一杯という状態でした。
率直な感想は、いい出会いに恵まれ、
産廃問題=環境問題を考える上で大変参考になったし、
強い刺激を受けました。

早朝6時半に広島駅に集合。
岡山県の宇野港には9時半に到着しました。
そこからは、海上タクシーに乗って20分で豊島に到着。
途中、豊島の産廃を溶融処理する
三菱マテリアルの巨大施設のある直島が見えました。
不法投棄のあった現場も船の上から見えました。
重機で作業している光景、
ビニールシートを張り巡らせた現場の状況は、
「こんな静かな島なのに」、という思いがわいてきました。

10時半に、家浦港に到着、
案内を頂く予定の前川さんと、
石井香川県議の出迎えを受け、
港のそばの交流センターに直行しました。

まず石井県議の説明です。
産廃処分には安定型・管理型・遮断型という方法があります。
豊島では、本来、遮断型で処分しないといけない有害物質が、
民間業者により、不法に50万トンも投棄されたわけです。
投棄された有害物質をどう処分するか、
地下水や海水(120m3/日)への浸出をどう防ぐか等、
現状は悲惨なものです。

現在その処理が行われていますが、
撤去費用は350億円、
終了は平成25年春の予定だそうです。
膨大なお金と時間をかけていくわけです。

そもそもこの事件の発端は25年前にさかのぼります。
豊島の砂を売って事業を行っていた松浦が、
ミミズの養殖と称して産廃を持ち込んできたわけです。
その間住民はいろんな方法で反対運動を展開しています。
しかし、兵庫県警の業者摘発があったり、
撤去命令がでたりしたけれども、
前述した50万トンの産廃をどうするかという点では、
香川県の責任を問うという運動が展開されました。
国の公害調停という場で、
6年半にわたる県行政との戦いが行われました。

ここから有名な中坊公平弁護士が出てくるわけです。
ポイントは2億円かけて行われた国の実態調査です。
この調査で放置できないという結論が出され、
香川県の調査のずさんさが明らかになりました。
しかし香川県は非を認めないし、
撤去には動きません。

そこで住民会議は、県の姿勢を変えさせる運動、
世論の追い風を起こす運動に入っていきます。
100ヶ所の集会に、合計1600人を動員し、
香川県の皆さんに理解を求める運動を展開したわけです。
そうする中で、1200票しかない豊島から、
7000〜8000票必要な県議選(小豆島選挙区)に
石井さんが立候補したわけです。
奇跡に近い勝利を収めた後、
調停において合意が成立し、香川県による撤去に至るわけです。
25年にわたる戦いに勝利したわけです。

私は3歳年上の、この石井県議に会って
本当に良かったと思います。
語り口は静かでなめらかですが、
内に秘めた闘志は並外れたものがある、
この人がいたからこそ住民運動は一致団結して、
進めたんだろうと感じました。
中心にいる人のパワーを体感できたことは一番の収穫でした。

最後に石井県議が言われたことは心に響きました。
「1960年代の公害問題は終わってないんじゃないか。
煙突から出る黒い煙、排水口から流れ出すきたない水、
典型的な公害の映像こそ今では見られなくなった。
これはいわゆる排出規制をおこなったからにすぎない。
出ていく煙や水はきれいになったが、
当時の有害物質は今でも残っている。
煙になる前に、排水口から流れる前に処理された汚染物質は、
最終処分というかたちで豊島にあり、
全国の処分場にある。
これはまた長い時間をかけて自然や人間に影響を与えるわけで、
何十年か後に被害者が出るかもわからない。
被害者と加害者が時を隔てて存在するという
もっと悲惨な事態になるのではないか。」
私たちは問題を先送りしているだけかもわかりません。
そして豊島の処理には350億円がかかるわけです。
結局高くつく方法、後世に禍根を残す方法を
私たちは行っているのかもしれません。

12時過ぎの船で石井県議は高松市に行かれました。
ぎりぎりまで私たち一行にお付き合いいただきました。

昼食をはさんで前川さんの案内で現場へ行きました。
非常に暑い日でしたが、
異臭と、黒や赤といったおよそ自然とは縁のない色でおおわれた現場は、
悲惨なものでした。
広島でも、五日市の処分場、
そして今度できる出島の処分場と不安をもつのは当然です。

一行は5時前に豊島を離れました。
それからバスで牛窓町へ。
瀬戸内海の美しい自然に触れながら議論し、
翌日に備えました。

8月3日(金)は9時半から、
牛窓町の産廃処分場設置計画の
反対運動に携わった窪田さんと篠田さんのお話をお聞きしました。

岡山県がこの計画を発表したのが1995年です。
1998年に知事が計画断念を表明するまでの
3年間の運動の状況をお聞きしました。

反対運動の勝因・教訓として触れられた中で、
1.町民へ情報を発信しつづけ、共有した−「さんぱい通信」30号、
2.運動の明確なイメージを提示した−合言葉・シンボルマーク・立看板、
3.企画力、C持続力、という点は私たちも参考にできると思いました。

 ただ人口8000人の町と、120万人の広島市では異なりますし、
運動の転換点となった町長選、県議選といった部分は、
状況が全く異なります。
「住民の意思表示ができにくい」というのが、
私たちの場合非常に不利な要素だと思います。

 窪田さんは音楽家で、びっくりしたんですが、
「かあさんの歌」の作詞・作曲者だそうです。
この人も先ほどの石井県議とは対照的なざっくばらんな印象でしたが、
運動の中心を担う人間には、いろんな型があるということも感じました。

 昼食後、牛窓を出て福山市の芦田川河口堰を見学しました。
水質が中国地方のワースト1ということで、
どうしてこうなったんだろうと疑問をもっていました。
水をせきとめる、埋めたてるということは、
人間の想像力を超えていろんなことが起こるということの
いい例だと思います。

 一行は6時半ごろ無事広島駅に到着し、
解散しました。これからこの見学をどう生かしていくか、
大事なポイントです。
私は議員ですから
議会で思いっきり発言させていただきたいと思います。

<活動報告>
7月23日(月) 岩国市へ
7月24日(火) 海砂問題について
7月25日(水) 選挙応援で尾道市へ
7月26日(木) 五日市産業廃棄物処分場見学(地元住民10名参加)
7月27日(金) 渡部商事訪問
7月28日(土) 選挙応援
7月29日(日) 参議院選挙投票日
7月30日(月) 広島市環境影響評価審査会傍聴
7月31日(火) 宇品海岸1丁目町内会との会合
8月1日(水) 第14回縮景園原爆犠牲者慰霊供養式、渡部 訓忠さんを囲む会
8月2日(木) 豊島・牛窓見学会
8月3日(金) 豊島・牛窓見学会
8月4日(土) 宇品東盆踊り大会
8月5日(日) 広島市南区子ども会 夏季球技大会

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