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こうじマガジン NO.859

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≪2024年05月11日のダイアリー≫

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■□□■□□■□□■【 目 次 】 ■□□■□□■□□■

◇広島県議会日韓友好促進議員懇話会 韓国訪問

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●●●2024年05月11日●●●


<広島県議会日韓友好促進議員懇話会 韓国訪問>

県議になって最初の韓国訪問は2002年秋、
広島―釜山の定期航路がスタートする便に
乗り込み、一晩かけて釜山に上陸した。
関門海峡を抜け玄界灘に入ったあたりから
船は大きく揺れ始め、参加者のほとんどが
船酔い状態で、翌早朝釜山の地を踏みしめな
がらも揺れる感覚だったのを記憶している。
この定期航路「銀河」は器材の老朽化を理由
にほどなく休止、復活することはなかった。
整備した国際旅客ターミナルは「無駄遣い」
との批判を受けた。

当時はこの釜山と隣接する慶尚南道との友好
を進めようと交流を進めていた。
2002年の訪問でも釜山から慶州、さらに慶尚
南道庁を訪問した。
しかし日韓関係の悪化や他自治体の動き等も
あり、慶尚南道との交流は事実上ストップ、
その後広島にある韓国総領事館の紹介で、
ソウル特別市議会等との交流を継続してきた。

コロナでの停滞を経て、この度ようやく慶尚
北道との交流がスタートすることになった。
これはリム・シフン在広島韓国総領事の紹介
で実現したもので、2024年1月には慶尚北道
知事、道議会副議長が広島を訪れた。
慶尚北道は、道都だった大邱市が1981年に
直轄市に昇格、1995年には広域市となった
ため、その道庁を2016年に安東市に移転している。

大邱広域市は広島市と姉妹都市であり、
活発な交流が現在でも続けられており、
今後広島県として慶尚北道と友好交流を
進めていく意義は大きいものと思う。
5月8日から11日までの今回の韓国訪問は
その第一歩ということになる。
私自身は7年ぶり9回目の訪問となる。

久しぶりの韓国訪問を前に、この機会に韓国
についてもっと深く知ろうと2冊の本を手にとった。
司馬遼太郎の「韓のくに紀行」と、中公新書
「韓国社会の現在」である。
今回の訪問はソウルや釜山といった大都市
だけでなく、内陸部にも足を伸ばし3泊4日の
日程ということもあり、前者は、司馬さんが
韓国をどう歩いたのかが知りたくなったから
で、後者は「韓国が直面する問題を探ること
は日本の近未来の課題を浮き彫りにする」
というこの本のコンセプトに興味を持った
からだ。
この2冊の本を手に5月8日朝10時半広島空港
発ソウル行きのチェジュ航空便に乗り込んだ。

司馬遼太郎が韓国を旅したのは1971年5月だ。
今から50年以上前になるが、
「韓のくに紀行」では、朝鮮半島の三国時代
百済、新羅、高句麗が鼎立した7世紀後半
ごろの時代を描き、その旅程も釜山から新羅
の首都慶州、大邱、そして百済の首都だった
扶余となっている。
圧巻は663年の白村江の戦いの描写だ。
大化の改新から間もない、まだ国家としての
体を十分になしていない日本が万を超える
大軍を白村江に送り込む、そして唐・新羅
連合軍に敗れるあたりだ。
そして滅亡した百済の民は大挙して日本に
逃げ込んできて、各地に住みその文化を育ん
でいったということ、改めて朝鮮半島と日本
の強い結びつきを意識した。

また、「日本の植民地とは言えないと思う」
としながらも日本人が多く暮らしていた加羅
の国(駕洛国)、今の釜山の北方、「任那」
とも呼ばれていたあたりも著者は訪ねている。
戦いを嫌うようになり享楽に耽って新羅に
滅ぼされた百済の王に妙にシンパシーを感じ
ながら、そこに日本が巻き込まれ大敗し、
百済の民とともに日本に戻っていくという
歴史的事実を、はかなさだけでなく文化的に
は洗練された強い柱をイメージできたのは
私だけではないと思う。

この本の中で洛東江(ナクトンガン、
Nak-tong-gang)という河が出てくる。
「洛東江の源は、太白山脈および小白山脈に発する。
この豊かな水流が南朝鮮の大地を肥沃にし、
ふるくは古代の東アジアでもっとも栄えた国
の一つである新羅国家を形成させ、
持続させ、その文化を生む力をもたらした。
韓民族にとってまさに母なる河であろう」と
描かれている。
この河も日本と韓国の歴史に深く関わっているのだ。

司馬氏は大邱近郊の倭館という地名に惹かれ
て訪ねていって、そこが豊臣秀吉の朝鮮の役
のときに日本軍の兵站基地だったこと著者は知る。
釜山から洛東江を遡って倭館までひとも物資
も運ばれたと思われる。
また朝鮮戦争の時には、人民義勇軍が朝鮮軍
に参加することで形勢が一気に逆転し、退却
する国連軍がこの洛東江の流れを天嶮とする
ことで危うく朝鮮軍を防いだ地でもあるようだ。
洛東江を挟んで対峙する両軍の均衡を破った
のがB 29数十機による戦略爆撃で、朝鮮軍
3万余がこの爆撃で殲滅され、こののち
国連軍はソウルを奪還し1953年7月27日の
休戦協定に至る。

司馬氏のこの著作から得たインスピレーショ
ン、それは洛東江の母なる河のイメージと、
1971年当時の韓国の農村風景の描写だ。
「上代にまぎれこんだ」ような「七人の翁」
との対話の場面、そこに広がる農村風景、
日本と違って生活と一体化した美しい村が
そこにあるようだ。
「利潤を追求するような努力―開墾したり
換金性の高い作物を植えたり、電化によって
生産性を高めたりーする風景は外から見たか
ぎりではあまり接することがなく、さらには
消費によって生産を刺激するといった風景も
、せまい見聞の中では存在しなかった。
韓国の農村は悠然としている。李朝500年が
まだ続いているという感じなのである。」と
描かれた韓国の農村は、50年経ってどうなっ
ているんだろう、と考えながら車窓からの
風景をぼんやり眺めていた。

訪問2日目、ソウル駅から高速鉄道に乗って
慶尚北道の安東市に向かった。
2時間半の旅程だが、車窓からみる田園風景
は気のせいか豊かさを感じたし、手入れが
行き届いた健全な田舎町をいくつも通り過ぎ
て行った。
残念ながら、それ以上は深く切り込んでいく
ことはできなかったが、安東駅に降り立ち
道議会の皆さんとの昼食会までの時間、
市内を流れる洛東江の辺を少しだけ歩いて
みて、今につながる我々と韓国の長い歴史に
想いを馳せ、また時空を超えて母なる河の
なつかしさに想いをいたし、しばし感慨に
ふけることができた。

訪問3日目は、東大邱駅から高速鉄道で
ソウルに向かった。
2時間10分の旅程である。
今回は初めての大邱だったので、大邱ならで
はのおみやげを、と広い構内を歩き回ったが
、適当なものは残念ながら見つからなかった。
ソウルに戻って在韓国日本国大使館の方々と
の意見交換会で首席公使にその話をすると、
意外な答えが返ってきた。韓国は李朝時代
から中央集権の傾向が強く、地方は中央官僚
の搾取に長く苦しめられてきた歴史がある。
そのため地方独自の文化というのがうまく
育たず、したがって地方独自の産物もこれと
いったものがない、という答えだ。
豊かな農村風景とは相入れない独自の歴史が
あることを改めて認識した。

読み進めていたもう1冊「韓国社会の現在」
について考えてみたい。
韓国の合計特殊出生率は2019年には0.92と
少子化のペースは日本より早い。
初婚年齢も30歳を超え、10代の7割が大学に
進学するがその多くは定職につけないまま
30代を迎える。
この若者層の失業問題も深刻だ。
将来人口特別推計(2019)によると、2017年
の人口5,136万人が2067年には3,929万人に、
100年後の2117年にはなんと1168万人まで
激減するとしている。
高齢化も日本を上回るペースで進む。
人口に占める65歳以上の比率は2017年の
14.8%から65年には46%に上昇し先進国首位
に躍り出る。

こうした日本に共通する課題について、
今や先進国トップランナーとなった韓国が、
他の国が経験したことのない現実をどう克服
していくのか、日本にとっても大きな示唆と
なるだろう。
ただ今回の3泊4日の韓国訪問で、その抱える
課題の深刻さが垣間見えるような現象や
雰囲気は感じることができなかった。
K-popや韓流ドラマは今でも絶好調だし、
街行く若者たちの表情に憂鬱そうな影は感じ
なかったし、市場の活気も今までと変わりはない。
しかしその水面下では確実に前述した不都合
な現実が進行していると思われる。

再選不可の5年任期の大統領制を採る韓国
では、政策の意思決定が早い反面、政権ごと
もブレ幅も大きくなる。
日本への外交姿勢はまさにその好例だが、
小子高齢化や雇用対策についても同様の傾向
があるようだ。
「訪問した慶尚道は保守派が圧倒的に強く
今のユン大統領を支えている。
一方全羅道はその逆で、民主化への成功体験
を強く持つ世代がリードしている。
世界で戦う若者たちはそうした対立を覚めた
目で見ている」、というのは前述した
首席公使の見解である。
ただ現実の深刻な少子高齢化や失業問題を
どう克服していくのかは政権の対立とは
無関係で、待ったなしの状況だ。
しっかりとそれに注目して、日本にとっての
有用な検証モデルとしていくことが必要だと
痛感している。
引き続き韓国の未来に注目して行きたい。


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広島県議会議員(南区)
松下政経塾出身

中原 好治