こうじマガジンNO.273 (2010.6.9)  


△▼**▲▽**△▼**▲▽**△▼**▲▽**△▼

こうじマガジン NO.273

△▼**▲▽**△▼**▲▽**△▼**▲▽**△▼


「2010年5月30から2010年6月5日までのダイアリー」



●●2010年5月30日●●


「晴天のもと終日街頭活動。」

朝9時からみなと公園でグランドゴルフ大会に参加。
スコアは最悪でしたが、久しぶりに楽しくプレーできました。
10時から夕方5時までは参議院選挙に向けた街頭行動で、
南区を中心に10ヶ所で街頭演説を行いました。


●●2010年5月31日●●


「民主党中国ブロック協議会。」

朝8時から段原・的場交差点にて街頭演説。心地よい天気が続いています。
午前中は事務所にて書類整理・来客対応、
午後1時からは民主党県連事務所にて要望受付1件、取材1件、
その後3時前の新幹線で岡山へ。
民主党中国ブロック協議会幹事長会議に出席しました。

参議院選挙に向けた打ち合わせですが、どこも
「厳しい、事態はさらに悪化している」との認識でした。
鳩山政権にとって今日は大事な日です。普天間問題の解決に向け
自ら期限を切った日だからです。国会は朝から荒れ模様のようですが、
どう決着をつけるのか見守るしかありません。

昨日の街頭行動でもそうだったのですが、
今の風は並大抵の逆風ではありません。
私自身逆風下の選挙は新進党の時の衆議院選で体験していますが、
その時以上の強烈な反発が帰ってきます。現場担当ですから
泣き言を言っても始まりませんが、何とか風向きは変えられないものか
祈るばかりです。中国ブロックは広島県の定数2以外は4県とも1人区です。
岡山県は江田五月参議院議長、鳥取県は松下政経塾の後輩坂野真理さん、
島根県は30代の元民放アナウンサー岩田ひろたかさん、
山口県はあの原田大二郎さんと、是非頑張ってもらいたい方々ばかりです。

この中国ブロックの1人区でどれだけ勝てるかが
全体の勝負の帰趨を決します。頑張って参ります。



●●2010年6月1日●●


「広島港湾振興事務所。」

ついに6月に突入しました。普天間問題の5月末決着を
自ら明言した鳩山総理の進退問題がクローズアップされてきました。
しかし良く考えてみると、辺野古崎周辺の文言の入った閣議署名を拒否して
罷免された福島社民党党首とは対照的に、他の大臣は署名した
ということですからこの問題については内閣として一応の決着をつけた、
という整理になります。仮に総理のこの問題での政治責任を問うのであれば、
この時点で追及しなければならず、署名はしておいて責任追及
というわけにはいきません。閣僚の発言を見てみますと一応に
「総理を支える」、としています。

では辞任を求める声というのはどこから出ているのか、
というとこれは7月に選挙を控えた参議院からという点で、
「選挙目当ての看板替え」と有権者からとられると
自民党と一緒で見透かされてしまいます。
この辺りの駆け引きが続いていますが、
いずれにしても早期決着というのが第一だと思います。

今日は午前中市内企業あいさつ回り。
午後からは広島港湾振興事務所の事業説明を受けました。
南区関連は約13億円の予算で(総額は約80億円)、
そのうち半分以上は出島地区の護岸等に充てられます。
その他宇品中央のにぎわいづくり施設は8月着工、来年6月完成予定、
移転してくる特別支援学校は10月着工予定となっています。
総予算は約3割減とのことで、事業終了による減が大きいとのことでしたが、
護岸等安全安心に関わる部分はしっかりと整備していただきたいと思います。

その後は選挙対策で動き、夜は久しぶりに自主トレ(元宇品コース)。



●●2010年6月2日●●


「驚きの辞意表明。」

朝8時にいつも通り事務所に出て原稿書き等をこなしていると、
急にマスコミからの電話が殺到、すぐにテレビを見ると
10時からの両院議員総会で鳩山総理が辞意を表明するとのこと、驚きました。
昨日までは続投に意欲満々と見えていましたので、本当に意外でした。

さらに驚いたのは表明の中で小沢幹事長にも辞職を促し、
了解を取っているとのこと、ツートップの突然の辞任に
考えを巡らす余裕もなく、携帯電話はなりっぱなし、
取材の依頼に事務所で受けることにし取材陣が次から次とやってこられました。

この辞任は既に事実ですから、大変残念ですが前に向って進むしかありません。
普天間問題と政治と金という2つの問題の責任をとる、
とはっきりおっしゃられたわけですから、私たちはこの問題を乗り越え、
初心に戻って新しい民主党を作っていくぐらいの思いで
頑張らなければなりません。そういった趣旨のことを
インタビューでお答えしているとすぐにお昼、1時からは会派総会で、
6月定例県議会の予算ヒアリングを受けました。

今日は大事な日なのでどうしても街頭に出て訴えたいと思っていましたので、
広島県内で活動されていた中川圭予定候補と合流し、
夕方市内中心部で街頭演説を行いました。
これからはどなたがトップであれ、
「政権末期の自民党と同じ看板の架け替えだ」との批判との戦いです。
この批判を押し返すには勢いしかありません。
「聞く耳を持っていただけない」状況だったことを考えると
勢いよく訴えることができるだけでも大きく状況は変わったということです。
さらに頑張って参りたいと思います。



●●2010年6月3日●●


「松下政経塾 佐野塾長。」

午前中は市内企業あいさつ回り。
午後からは民主党県連で報道からの取材と打ち合わせ。

そして夜は松下政経塾 佐野塾長が広島に講演で来られたとのことで、
在広の卒塾生で懇親会を行いました。広島出身の卒塾生は
1期生で広島県議の平 浩介先輩、
4期生衆議院議員の三谷 光男先輩(広島5区)、
6期生衆議院議員の河井 克行先輩(広島3区)、
22期生衆議院議員の松本 大輔さん(広島2区)、
18期生広島市会議員の森本 真治さん(広島市安佐北区)、
そして7期生の私と6名います。他県と比較しても多い県です。

今日は国会議員は来られないので地方議員3名での懇親会
ということになりました。「松下政経塾の国家的使命は何か」
は永遠のテーマです。国会議員34名、地方議員25名、首長11名
というのは一大政治勢力です。今年入塾した塾生は31期生、
これからも人材養成機関のままでいくのか、政治勢力として立ち上がるのか、
まさに大事な時機にきていると思います。

佐野塾長はパナソニックの役員も務められ、
幸之助塾主との親交の深い方です。
今後どう舵取りをされていくのか、
卒塾生としてまた財団の評議員として深く関わって参りたいと思います。
久しぶりに大きな構想に思いを馳せました。


●●2010年6月4日●●


「菅 直人新首相。」

10時過ぎには民主党県連事務所へ。
今日は民主党の両院議員総会で新代表選出の選挙が行われるということで、
県連事務所でその様子を見ることにいたしました。
報道関係者の取材もあります。樽床衆議院議員
(松下政経塾の先輩で大変お世話になった方です)との選挙は
菅副総理の勝利となり、新代表に選出されました。
すぐにマスコミにコメントを発表し一段落したのが12時半、
昼食を取って県議会へ。ここでも取材や打ち合わせが続きました。
菅新総理誕生に揺れた一日でした。

菅さんは大好きな政治家の一人です。昨年の都議選応援の際、
地元吉祥寺駅前での街頭演説は目に耳に焼き付いていますし、
総選挙の際は本通りでの街頭演説で選挙カーの上に一緒に立たせていただき、
その一挙手一投足を観察させていただきました。
街頭演説の迫力と発信力では多分菅さんの右に出る方は
いらっしゃらないと思います(私が聞いた数多くの政治家の街頭演説の中で
ということですが)。その菅さんが来る参議院選挙の民主党の顔になる
ということに、ある意味興奮を覚えます。
情勢が一気に変わることを期待していますし、
実際に街頭に立ってみても雰囲気が変わったな、と思っています。
広島選挙区2議席獲得も夢ではないと感じています。

夕方6時には呉市へ。
6時半から三谷光男衆議院議員(広島県連代表)のパーティがあり、
出席しました(クレイトンベイホテル)。
三谷さんは1時間遅れで会場に到着されました。
これからは守りから攻めに転じていきます。


●●2010年6月5日●●


「中川 圭さん事務所開き。」

朝6時前に起床後晴天に誘われて久しぶりに早朝自主トレ(元宇品コース)。
体調も回復しつつあります。10時過ぎには中川 圭事務所へ。
今日は2時から事務所開きの予定です。
先週土曜日には柳田稔参議院議員の事務所開きがありましたから、
県連擁立2予定候補の事務所開きが2週連続ということになります。
柳田さんの場合は連合広島が全面的にバックアップしますから、
スタッフには恵まれ動員も容易ですが、中川さんの場合は
スタッフ不足、動員力も未知数と、不安材料が多いのが事実です。

今回の参議院選挙で私は県連幹事長として
「中立的立場で総合調整に当たる」という役割になっています。
事務所開きは予想に反して200人近い方々にお集まりいただき、
大いに盛り上がりました。乳癌患者の会きららのみなさんや
本人の同窓生等が中心で女性が大半というもので、
中川さん当選に向け異様なほどの盛り上がりを見せていました。
柳田さんは男性が大半なのに比較すると全く違った雰囲気でした。
これも本人の明るい性格、使命感、やる気のなせる業だと感動しました。

菅首相の誕生で民主党へのご支持がじょじょに戻ってきている
という実感があります。
その後の街頭行動にも随行しました。




こうじマガジン目次へ