こうじマガジンNO.269 (2010.5.13) | |||
△▼**▲▽**△▼**▲▽**△▼**▲▽**△▼ こうじマガジン NO.269 △▼**▲▽**△▼**▲▽**△▼**▲▽**△▼ 「2010年4月20日から2010年5月6日までのダイアリー」 ●●2010年4月20日●● 「政務調査費。」 新年度に入りましたので、 年度毎に会派に支給される政務調査費の整理を行いました。 平成19年度に包括外部監査人の指摘を受けてから、 県議会で要綱を定め厳しく管理しています。午前中かけて整理し、 午後1時半からは県議会で来客対応2件。 福祉事業についてレクチャーを受け、 民主党広島県連関係の打ち合わせが続きました。 夜は尾道市からの来客と懇親会。 ●●2010年4月21日●● 「府中市へ。」 快晴の中9時過ぎに事務所を出て府中市へ。 終日市長選挙の支援活動の後広島に戻り、夜は異業種懇親会。 ●●2010年4月22日●● 「Yes!キャンペーン。」 今日は急きょ森本真治広島市議とともに、朝6時発の新幹線で東京へ。 「Yes!キャンペーン」実行委員会の皆さんが集められた自治体署名を、 武正公一外務副大臣に提出するのに同行するためです。 「Yes!キャンペーン」とは、平和市長会議が提唱している 「ヒロシマ・ナガサキ議定書」のNPT再検討会議での採択を求める ボランティアの団体で、昨年9月28日から日本全国の市町村首長 (1772自治体+東京23区)へ直接賛同署名を求めるキャラバンを この4月9日まで約半年間行われました。高齢の被爆者の皆さんが35都道府県、 863自治体を自らハンドルを握り、集められた署名数は 現在過半数を超える1096に上ります。自治体の人口総数に換算すると、 76,429,963名と総人口の6割を超えています。この署名を政府首脳に届け、 NPT再検討会議で核兵器廃絶のリーダーシップをとっていただきたい という願いです。 私自身の核廃絶に対する考え方は4月4日のブログに 「核抑止論」として述べました通りです。実行委員会の方々4名、 広島平和文化センターの常務理事、広島市東京事務所の方々と 11時前に議員会館に集合し、今回の署名提出にあたりお世話をいただいた 菅川、空本両衆議院議員と合流、あいにくの雨の中外務省に向いました。 11時20分から武正外務副大臣との面談、マスコミの取材も多く 関心の深さを実感しました。「この思いが国際社会で通用するか」、 これからが大きなチャレンジですが、私自身は広島の声を上げていくことが 非常に重要な事だと考えています。なおこの活動の運動資金は 「ヒロシマ・ナガサキ議定書を読む絵本」(一部500円)の売り上げで 賄われています。この絵本も素晴らしい出来映えでインパクトがあります。 5月には会議の舞台となるニューヨークにも行かれるようで、 「魂を揺さぶる」活動がなされることを大いに期待しています。 この後12時からは三谷光男民主党広島県連代表へ、 1時からは院内の民主党幹事長室を訪問し佐藤公治副幹事長に その思いをお伝えしました。途中小沢幹事長、平野官房長官にもニアミスし、 国会の雰囲気を垣間見た要望活動でした。その後あいさつ回りを行って、 4時過ぎの新幹線で広島へ。 ハードな日帰り東京出張でした。 ●●2010年4月23日●● 「宇品築港121周年記念行事、千田翁顕彰祭。」 朝10時から宇品築港121周年記念行事、千田翁顕彰祭に 地元議員として出席しました。今回は文部省唱歌「みなと」を 2度も歌うという趣向が、広島港の歴史的意味と千田翁の偉大さを あらためて感じさせよかったと思います。私財をなげうっての公共事業、 という今では考えられない現象ですが、地元の反対運動、予測不能の難工事を 乗り越えて完成させた千田翁の「先見の明」とその執念に 毎年触れさせていただいています。 午後は県議会へ移動し来客対応2件、 6時からは10周年記念行事実行委員会に出席しました。 本当に実行委員会の皆さまにはお世話になりました。 ●●2010年4月24日●● 「北桜関、小野川親方襲名及び結婚披露パーティ。」 豪快に塩を土俵にまく姿、地元出身力士の勝敗を伝えるローカルニュース ではおなじみの光景です。北桜関、つい先日引退されましたが、 今日は北の湖部屋の小野川親方を襲名されたとのことで、 そのパーティに出席しました。北桜関の20年余の土俵生活というのは 異例の長さだそうです。選手生活は以外に短い、 プロスポーツはどれもそうかもしれません。 野球やサッカーといったプロスポーツには興味がないほうですが、 この相撲の世界は日本の伝統で、力士を終身で支えていくシステムが 確立しているめずらしい業界だと思います。その分競争も激しいと思いますが、 広島市安佐北区可部出身の力士がこうして活躍されているというのは、 本当にうれしいことです。北桜の弟さん豊桜関は今も現役です。 私が感動したのは、北桜関の幼いころからの写真のスライドです。 小さいころは普通の子供だったこと(当たり前ですが)、 柔道がその基礎になっていること、北の湖親方との運命的な出会いなどです。 ご尊父も元力士で兄弟を関取に育て上げたご両親も途中舞台に上がられました。 この広島でご苦労されながら全国的に活躍する兄弟力士を育てられたことに 本当に敬意を表したいと思います。楽しいパーティに参加できました。 ●●2010年4月25日●● 「「花神 司馬遼太郎」(新潮文庫)。」 今日司馬遼太郎氏の「花神」全三巻を読み終えました。 幕末希代の名指揮官大村益次郎の生涯を描いた作品です。 ポイントは、大阪適塾での人材育成、攘夷とは何か、二度にわたる長州征伐、 明治新政府の脆弱さ、新首都東京の騒乱と戊辰戦争の危うさ、 「遅れてきた志士たち」の問題等いくつかあります。 その中でも現代の政治課題と重なり合うことは、「明治新政府の脆弱さ」と 「遅れてきた志士たち」です。明治維新が成立して、 準備万端的確に新体制が出来上がっていき、勝つべくして勝った戊辰戦争と、 その後の西南戦争という風に、維新後の10年が経過していったものと 後知恵で考えがちです。この本を読んでみて実際は全く異なり、 新政府は何をしていいかわからず、お金も軍事も人材も 旧藩それぞれが握っていたわけですから、政権の正当性は明確でも それを裏付けるものは何もなかったこと、そしてこの状態は 廃藩置県が断行される明治3年まで続いていることを考えると、 非常にあやふやな基盤の上で綱渡り的に政権運営が行われていた ことがわかります。そしてさらに恐ろしいのは「遅れてきた志士たち」が 京都に溢れ、政権を揺さぶる動きを行っていたということです。 大村益次郎は明治2年彼らに暗殺されるわけですが、 せっかく成立した新政権をさらにひっくり返そう、 あるいは新政権での仕官を望んでいた者もいたでしょう、 この「遅れてきた志士たち」ほど始末に悪いものはない、 と当時の木戸孝允は嘆いています。どうも今の新党乱立の状況が、 この「遅れてきた志士たち」に重なってしまうのは私だけではないと思います。 政権交代とその後の混乱、今こそが正念場であることは間違いないと思います。 民主党も政権交代実現までに10年の苦難の時代がありました。 同じことを実現しようと思えば、やはりそれくらいの時間はかかるでしょう。 そこまで辛抱できるのか、実現にむけた大戦略はあるのか、 参議院選挙を前に大きく示して頂きたいと思っています。 ●●2010年4月26日●● 「街頭演説。」 朝8時から旭町・出汐交差点にて街頭演説。昨日今日と快晴で、 気持ちのいい天気です。この時期毎年花粉症に悩んでいますが、 今年はその影響はあまりありません。 新年度に入って県政の課題は目新しいものはあまりありませんが、 国政では第二弾の事業仕分けが始まっています。 独立行政法人や特殊法人がそのターゲットですが、 地方自治体では第三セクターが天下りや無駄遣いの温床になっている、 という問題意識を持っています。渦中のHAV問題はまさにその象徴です。 今日は街頭演説でそういった問題点を指摘しました。 終了後は県議会で週明けの様々な打ち合わせに臨みました。 大型連休が目の前ですが、やらなければならない課題がたくさんあります。 今週も頑張って参ります。 ●●2010年4月27日●● 「PTA活動と保護司会。」 朝10時から子どもたちの通う小学校のPTA活動に参加しました。 一緒に作業を行ったお母さんの中に、 私の海上自衛隊幹部候補生学校の後輩がいらっしゃることが判明。 婦人自衛官だったそうです。ひとしきり思い出話に花が咲きました。 このところ持病のじんましんが悪化して体調不良が続いています。 原因不明ですがかかりつけのお医者さんはストレスでは、とおっしゃいます。 症状はまさに「痛し痒し」です。いつも数週間で引くので しばらく我慢の日々が続きます。 夕方からは保護司会(宇品ブロック)の会合に参加。 ●●2010年4月28日●● 「会派総会。」 今日はアポイントメントが立て続けに入っています。 朝10時から参議院選挙に向けた組織団体対策で訪問活動、 その後要望事項の打ち合わせに菅川洋事務所へ。 昼食後連合広島と民主党広島県連との定期協議、 3時からは会派総会、今日は連休前で参加者も少なかったですが、 数点の政策課題について意見交換しました。 さらに6時半からは「おやじ日本広島」の設立総会打ち合わせと続きました。 ●●2010年4月29日●● 「第81回広島県中央メーデー。」 今日はハードな一日ですが昨晩はじんましんが悪化して眠れませんでした。 心配しながら朝4時半には自宅を出て、朝起き会へ。 今日も演壇に立たせていただきました。 終了後今度は10時から第81回広島県中央メーデーに出席しました (広島市中央公園)。約1万人が参加する連合広島主催の一大行事です。 私がメーデーに初めて出席したのは平成6年で、 当時は日本新党の政党代表という形でした。 メーデーというと何か政治的なアピール性の強い、 ロシア革命のような光景を想像していましたが、 実際は家族連れで子供向けのイベント盛りだくさんの和やかなものでした。 その起源も、「1886年5月1日に米国の労働者が8時間労働制を求めて ゼネストに立ち上がった」ことであり、 血なまぐさい世界的事件とは一線を画しています。 終了後は5時から民主党広島県連幹事会執行部会に出席しました。 参議院に向け二人目候補の擁立を検討していますが難航しています。 夜遅くまで打ち合わせが続きました。 ●●2010年4月30日●● 「メーデーの写真をアップします。」 昨日のメーデーの写真を2枚掲載しました。少し風が冷たい一日でした。 今日は大型連休前の4月末日ということもあり、 終日電話連絡が絶えませんでした。連休の予定は特にありませんが、 連休明けからは地域を歩き回るパワーウォークをスタートします。 その準備等に充てたいと思っています。 ●●2010年5月6日●● 「大型連休終了、そして再始動。」 今年は5月1日から5日までまる5日間お休みが続きました。 この連休中は4月に入ってじんましんに悩まされていたので、 少し体調を整えないとと、意識的にリラックスして過ごすようにしました。 実行したことは、たまっていた礼状書き、 久しぶりの自主トレ(元宇品コース)3回、 「1Q84」を読了し次は「樅の木は残った 山本周五郎」(新潮文庫) に入っています、そして子どもたちと過ごす時間も しっかりとることができました。今日からはまた全力投球で いきたいと思います。 まずは朝8時から宇品ジャスコ前にて街頭演説、 ニューヨークで行われているNPT再検討会議について ご報告させていただきました。その後事務所で過ごしましたが、 連休明けということもあり電話の着信が今日も30件を越える勢いです。 特に民主党県連幹事長に就任してマスコミ取材が件数、時間ともに 大幅に増えています。ある意味ありがたいことですが、 同じことを各社に対応することになるので、結構苦痛になる時もあります。 昼前には県議会へ移動。こちらでも来客対応や職員との打ち合わせが 続くことになります。取材や打ち合わせに時間がとられ、 実質的な仕事の部分は少ないように思いますが、 連休明けですからしょうがないかもしれません。総務や事務という仕事は、 こうした調整とクレーム処理だと思います。 政治もまさにこのことがしっかりこなせないと ご支持いただけないと肝に銘じています。さらに頑張って参ります。 |
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