こうじマガジンNO.228 (2009.4.30)  

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こうじマガジン NO.228

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「2009年4月17日から2009年4月25日までのダイアリー」



●●2009年4月17日●●


「建設委員会。」

朝10時から会派総会の後、30分から建設委員会に出席しました。
3月の人事異動後の新任説明員の紹介の後、審議に入りました。
今日は2点に質問しました。

一つは高速料金値下げにともなう通行車両の増加の報告はありましたが、
その影響を受ける四国への都市間フェリーや内航海運の状況について
の報告がなかったので質問しました。
土日は約3割の減少ということで対策が急がれます。

もう一点は広島西飛行場の問題です。
どうも「広島空港に機能集約をしたい、県負担金を少なくしたい、
要するに早く手を引きたい」という姿勢が見え見えの事務レベルの協議が始まり、
その報告がありました。
「早く結論を出して撤退すべき」の意見が他の委員から多く出されましたので、
私は「あくまでも協議であって、県と市の考え方に隔たりがあるのなら
市を説得しないといけないし、一方的な結論を急ぐようではだめだ」
と発言しました。この問題の論点は、
@空港機能は都市にとって不可欠の機能か、
Aそもそも都市機能としての空港とは何か、
B現広島空港ではだめなのか、の3点に絞られると思います。

私は、
「近い将来を見据えると空港機能は中核都市のとっては不可欠となる可能性が高く、
担うべき都市機能としては
@他都市への定期便の就航(東京便、東京近郊便も含む)、
A防災拠点機能、
B小型機を含む航空産業界の拠点としての機能、の3つが上げられ、
広島市内からのアクセスが不十分である現広島空港では、
これらの機能の代替性は発揮できない」と考えています。

そもそも県行政においては
「都市とは何か」という都市論についての議論はほとんど行われませんが、
この問題に関しては都市論からの議論は避けて通れません。
それでも県が西飛行場から撤退する、ということであれば、
その根拠となるべき都市論を展開した上で、
広島市民を説得するぐらいの覚悟が必要だと思います。
11月には知事選も控えています。
この問題も大きな争点になることは間違いありません。
事務レベルでの協議がどう進んでいくのか注視しておく必要があります。

終了後は日華友好広島県議会議員連盟総会、
そして夜は連合広島役員との懇親会と続きました。



●●2009年4月19日●●


「宇品東学区春季球技大会。 」

今日は朝6時に起床後久しぶりに早朝自主トレを行いました(元宇品コース)。
そして8時半からは宇品東学区春季球技大会の開会式に出席しました。
男子はソフトボール、女子はソフトバレーが町別対抗で行われました。
ソフトバレーの始球式では、いつもアウトのボールを打っていましたが、
今日はネットすれすれの素晴らしいサーブが決まりました。
晴天に恵まれ絶好のスポーツ日和でした。


●●2009年4月20日●●


「 「悩む力」 姜 尚中  集英社新書。 」

朝8時から宇品ベイシティ前にて街頭演説。終了後は事務所へ。
先週県議会の図書室で、「悩む力」( 姜 尚中  集英社新書)
を借りて読み始め、今日読了しました。
19世紀末から20世紀にかけて生きた同時代の
夏目漱石とマックス・ウエーバーを対比しながら、
自我の目覚めと個人主義、そして自由という問題をテーマに、
鋭く論理展開していきます。

序章 「いまを生きる」悩みで、現代の課題である
喧騒の中での孤独、格差、自殺の増加といった問題を提起します。
そして私たちの永遠の課題である「私」とは何者か(第1章)を論じ、
世の中すべて「金」なのか(第2章)、
「知ってるつもり」じゃないか(第3章)、
「青春」は美しいか(第4章)、
「信じる者」は救われるか(第5章)、
何のために「働く」のか(第6章)、
「変わらぬ愛」はあるか(第7章)、
なぜ死んではいけないか(第8章)と続いていきます。
終章は、 老いて「最強」たれというテーマで、
知恵に満ちた長老の不在と、これからの「老人の撹乱力」が
世の中を作っていくと結んでいます。

悩みぬくことが大事だ、という全体のトーンですが、
共鳴する部分が多く、読後感は非常にすっきりしたという感じです。
私自身も政治の世界に入って悩むことが非常に多いわけですが、
悩みぬいているか、と問われれば、
目先の業務に逃げていたり、趣味の世界に逃げ込んだり、
悩みの本質から視線をそらしているのではないか、と反省させられました。
この著書を大きな刺激にしたいと思います。

今日はさらに同じ集英社新書の
「資本主義崩壊の首謀者たち」広瀬 隆著を読み始めました。
広瀬 隆の本にはいつも刺激を受けています。
読後感はまたご報告いたします。


●●2009年4月21日●●


「西部建設事務所。」

朝9時半の来客を受け、南区比治山町にある広島県の西部建設事務所へ。
昨年度までは広島地域事務所建設局と言っていましたが、
出先機関の統廃合を受け、名称も機能も人員も変わりました。

平成14年(2002年)には、
「広島大都市地域発展プラン〜多彩な活動と交流を育む国際都市圏づくり」
と題した地域発展プランを策定し、
県政中期ビジョンと同じく平成17年(2005年)度末までを計画期間としていました。
地域事務所が総合的な地域発展の核となる、
という意気込みが感じられるものでしたが、
どうもそうした発想は放棄したようです。

大都市広島を抱えるこの地域での県の出先機関の役割は、
総務・県税・農林水産・建設・港湾振興と限定されており、
大風呂敷を広げるのではなく所掌業務を淡々とこなす、
というイメージになっています。
部長クラスだった地域事務所長のポストもなくなり、
当然存在感も薄れてきている感じがします。
機能縮小・人員削減と今の風潮といえばそれまでですが、
地域発展の理念、思想はどうなったのか、県行政の役割は何なのか、
整理しておく必要があると感じています。



●●2009年4月22日●●


「 「広島湾ベイエリア・海生都市圏研究協議会」。 」

今日は県議会で、広島商工会議所の中村成朗(中村角梶j社長とお会いし、
自ら運営委員長を務められている「広島湾ベイエリア・海生都市圏研究協議会」
の活動について意見交換を行いました。

この協議会はその設立趣意書によりますと、
「広島県から山口県にかけて、多彩な都市圏を擁する広島湾は、
中国・四国地方の結節点に位置し、
21世紀に向けて広域的な交流拠点としての発展が期待されており、
湾域の一体的な基盤整備、機能強化が求められる」とあり、
県境を越えた連携が必要との考え方を示しています。

そして、「広島商工会議所では、
他に類を見ない地域特有の資源「海と川と島」を生かした
広島湾域の発展ビジョンとして平成6年に「広島湾ベイエリア2050年構想」
をとりまとめるとともに、その後もフォーローアップ研究に取り組み、
海から見た都市づくり、海とともに発展する都市づくりというポリシーのもと、
平成9年に「海生都市圏構想」を策定した」とあり、
10年以上前にすでにビジョンの策定を行われています。
それは、「『海との関わりの充実』を基本テーマとするこの構想は、
『分担・共生・交流・連携』のキーワードと、
『海生』の由来となる5つのコンセプト
『海を生かす、海に生きる、海に生まれる、海が生まれる、海と生きる』に基づき、
長期的、多面的な視点から湾域全体の整備方向を提示している」ものです。

会員は広島湾沿岸の10自治体、商工会議所、商工会で、
賛助会員として瀬戸内海汽船等旅行関連会社やホテルが名を連ねています。
お話をお聞きして趣旨に大いに賛同するとともに、
行政としてももっと積極的に取り組んでいくべきではないかと感じました。


今取り組んでおられる具体的な事業として、
「広島湾域の特性を活かした体験型修学旅行誘致の推進」をお話いただきました。
修学旅行のトレンドは単なる物見遊山的なものから、
体験型へと変化しているそうです。少人数に分かれ民泊して地域の方と交流したり、
その生活を体験しながら漁や農産物の収穫のお手伝いをしたり、
地域の特産品を一緒に作ったりとそのメニューは多彩です。
ポイントはそれぞれの地域において、○ インストラクター養成研修の実施、
○ 修学旅行受入体制の整備等で、
現在では○ 広島湾体験型修学旅行誘致用パンフレットを作成して、
○ 広島湾体験型修学旅行誘致PR活動を実施されています。
すでに実績も上がっており、リピーターも生まれているそうです。
目標は1万人とのことで、平和学習とのセットで考えると
魅力的なプログラムになると私も感じました。
是非成功させていただきたいと思いますし、
行政もしっかりとバックアップをしていく必要があります。

夜には中原好治応援団の役員会を行いました。



●●2009年4月23日●●


「宇品築港120周年記念式、千田翁顕彰祭。」

朝10時から宇品築港120周年記念式、千田翁顕彰祭に出席しました。
毎年の恒例行事ですが、築港当時の県令千田 貞暁翁には
私自身非常に興味を持っています。

薩摩の士族出身で、明治維新、戊辰戦争を戦った彼がなぜ地方統治に進んだのか、
西郷隆盛との関係や、新政府の人脈的位置づけはどうだったのか、
72歳の長寿を全うされますが、どういう晩年だったのか、
宇品築港を決断するにいたった経緯等
知りたいことがたくさんあります。
折にふれ追っていきたいと思います。


●●2009年4月24日●●


「小沢代表。 」

今日は民主党の小沢一郎代表が、
広島1区の公認候補菅川洋さんの応援のため、広島入りされました。
なぜ広島1区なのか、
なぜこの時期この時間帯(夕方6時から7時半まで)
この場所(居酒屋風の中華料理屋)なのか等、
いろんな憶測を呼ぶような今回の広島入りですが、
これも小沢代表の決断力によるところが大きいと思います。

50名近い方々がお集まりで、始めのあいさつが終わってからは、
5つあるテーブルを順々に回られ、
少しビールも飲まれながらいろんなお話をされていました。
細かい事は微妙な部分もありますのでここでは触れませんが、非常にお元気でした。
政権交代を目指し、闘争心むき出しのお話が多かったように思います。
やはりリーダーとはこうあるべき、というすさまじい強さを感じたのは
私だけではないと思います。

5つのテーブルを一回りした後は、写真撮影にも気軽に応じられていました。
終始笑顔で応じられていたのが非常に印象的でした。
政局の動き、特に西松建設違法献金事件と今後の行方は
不透明な部分が多いと思いますが、
いろんなものを蹴散らしてでも前に進むという強さを感じた会合でした。


●●2009年4月25日●●


「牧野 道夫宇品小学校校長 ご退任記念祝賀会。 」

今日は夕方5時過ぎからグランドプリンスホテル広島で、
牧野 道夫宇品小学校校長 ご退任記念祝賀会に出席しました。
牧野校長は宇品小学校校長を5年間、その前は五日市南小学校校長を5年間、
そして教師生活38年間で、お世話になったPTAの方々、
宇品の地域の方々ともどもご退任をお祝いしようという会合です。
不思議に小学校の思い出、特に先生との思い出というのは鮮明です。
中学校や高校よりもある意味大事な記憶ではないかと私自身は思っています。

「いいですか、これからの人生にとって、何かすばらしい思い出、
それも特に子供のころ、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、
尊く、力強く、健康で、ためになるものは何ひとつないのです。
君たちは教育に関していろいろ話してもらうでしょうが、
少年時代から大切に保たれた、何かそういう美しい神聖な思い出こそ、
おそらく、最良の教育にほかならないのです。
そういう思い出をたくさん集めて人生を作り上げるなら、
その人はその後一生、救われるでしょう。
そして、たった一つしかすばらしい思い出が心に残らなかったとしても、
それがいつの日か僕たちの救いに役立うるのです。」

これは、ドストエフスキーの名作「カラマーゾフの兄弟」の最終章で、
主人公アリョーシャが語る有名な「石のそばでの演説」の一説です。
妙に私の記憶に残っているフレーズで、
今日もこのフレーズが頭に浮かんできました。
牧野校長にも児童生徒との数え切れない思い出があり、
なによりもその児童生徒たちにとって素晴らしい思い出で、
その後の人生の中で救われるような記憶であってもらいたいと祈ると同時に、
牧野校長先生の今後とものご活躍をお祈りいたしました。




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