こうじマガジンNO.182 (2008.5.1)  
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こうじマガジン NO.182

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「2008年4月22日から2008年4月27日までのダイアリー」



●●2008年4月22日●●


「死刑判決。」

注目していた判決でした。
広島高裁は、
最高裁からの差戻審で、
光市母子殺害事件の被告人に
死刑の判決を言い渡しました。
遺族の本村さんの
この9年間にわたる活動には、
敬意を持って注目していました。

事件のあった1999年は
私が県議会議員に初当選した年、
殺害された子どもさんも長女と同い年と、
事件のインパクトとともに、
いたたまれない気持ちになったのを
深く記憶しています。
私自身も保護司に任命していただいて、
何人か担当も持たせていただいて、
この更正ということの困難さは
痛感しています。

今回の被告人の家庭環境も複雑ですが、
犯罪に走る人達のほとんどは、
その家庭環境に問題があるのではないか、
という点にも意識を持っています。
犯罪は結局、
社会全体の責任なのではないか、
その抑止のために刑罰を定めていくわけですが、
その適用は厳罰で臨むのか、
行為者の性格や危険性も考慮するのか、
といった刑法理論の難しい迷路に
入ってしまいます。

今回の被告人の弁護団の主張は、
個人的には受け入れがたいものがありますが、
旧知の弁護士さんもいらっしゃり、
その基本的な考え方も
一度ゆっくり勉強したい
と思っています。
被告人は最高裁に上告すると表明しましたが、
事実上の審議は終結したと思います。
9年に及ぶ闘い、
想像を絶する道のりです。


●●2008年4月23日●●


「宇品築港119年記念式典及び千田翁顕彰祭。 」

朝10時から、
宇品築港119年記念式典及び千田翁顕彰祭に出席。
宇品に住む私にとって、
毎年恒例の大事な行事です。
毎年考えていますが、
千田 貞暁公の生涯についてです。
今NHK大河ドラマ「篤姫」で、
幕末維新にかけての
薩摩藩の様子が描かれていますが、
千田公もこの時代、
薩摩藩の郡奉行の長子として活躍しています。

鳥羽伏見の戦いから始まる戊辰戦争で従軍し、
明治13年に45歳で、
広島県令に赴任しています。
明治9年2月に、
西郷隆盛率いる薩軍が熊本城を包囲し、
西南戦争が勃発しますが、
千田公はこの時、
薩摩士族出身者として
どのような立場にあったのか、
どういう決断を下したのか、
西郷翁との関係はどうだったのか、
興味のあるところです。
広島県令赴任後約10年で、
築港計画が疎漏として、
新潟県知事に左遷されますが、
これが果たして左遷だったのか、
疑問の残るところです。

その後、
和歌山・愛知・京都・宮崎の各知事を歴任し、
62歳の時に宇品築港事業が再評価され、
広島市議会から感謝状が贈られています。
その後男爵に任ぜられ、
68歳で貴族院議員となっています。
1908年4月23日に72歳で死去するわけですが、
その生涯は波乱に満ちています。
当時は軍人となることが
一族の誉れであった時代だと思いますが、
あえて地方統治の道を進んだ
千田公の思いというのは、どうだったのか、
非常に興味があります。

薩摩士族出身者と
広島の発展が直線で結びつくという点、
119年経過した今でも
その遺徳を顕彰する行事が続けられ、
そこに出席している自分自身、
毎年考えさせられる一日です。

午後からは雨になりましたが、
事務所に来客4件、
ここでも歴史にまつわる話に熱くなりました。
またご報告させていただきます。


●●2008年4月24日●●


「ほめ言葉。」

朝10時から南区役所へ。
地域課題の打ち合わせを行いました。
具体的な案件は2件でしたが、
南区全体の街づくりに話がひろがり、
区内5ヵ所の開発構想等、
夢をおおいに語り合いました。
今後も具体的に進めていきたいと思います。

昼食後県議会へ。
来客2件。
久しぶりに、ひきこもり問題で
意見交換をいたしました。
参考図書をご紹介いただきましたので、
読んでみたいと思います。
午後4時からは、
宇品神田神社の春季大祭に出席。

7時からは、
松下政経塾の先輩 本間正人さんの
(3期生、NPO学習学協会代表理事・成人教育学博士)
講演会「ほめ上手になって人間関係を円滑にしよう」
に参加しました。
本間先輩には、
政経塾在塾中に大変お世話になりました。
政経塾の先輩方の中でも「切れ者」だ、
と思っています。
政治の道にはあえて進まれず、
NHK教育の「ビジネス英会話」
の講師をつとめられたり、
著作も多数あり、
「モンスターペアレント」という言葉も
本間さんが紹介された考え方です。
相変わらずの楽しい講演で、
勉強になりました。
いろんな場面で、
ほめ言葉を少し意識していこうと思います。


●●2008年4月25日●●


「 「うじな通」検定。」

南区役所市民部で、
南区魅力発見委員会という
ボランティアグループがあります。
南区七大伝説をクローズアップして、
情報発信しておられます。

猿猴川(えんこうがわ)の河童伝説、
向洋の疱瘡神社に伝わる天女伝説、
稲生神社の妖怪伝説、
黄金山の黄金伝説、
被爆直後の廃墟の中での第九伝説、
旧宇品線の鉄道伝説、
似島の捕虜収容所での菓子伝説です。

こうした取組が各地域で進んでいることは、
素晴らしいことですが、
宇品地域では
この活動を支えていらっしゃる方々が
中心になって、
「うじな通」検定実行委員会を作られ、
テキストと現地巡りを行っておられます。
テキストを読んでいると
知らないことがたくさんあります。
先日の千田翁のこともそうですが、
元宇品の歴史にも驚きました。
「宇品島の最初の住人は、
戦国時代に中国地方の戦乱により
居住地を追われた武系家族が1560年頃に住み始め、
次いで明智光秀の敗戦で、
明智領を追われた有力者の数家族が、
1582年頃に琵琶湖から淀川を下り、
瀬戸内海を渡りこの島にたどり着き、
先住者に迎えられ定住したと言われている」
とあります。
確かに元宇品には、
坂本姓(明智光秀の居城は坂本城)が多いし、
大宮姓(近江にかけている)も多いことを考えると、
これも歴史を感じさせるエピソードです。

こうした地域の歴史を地道に残していく、
後世に少しでも伝えていくという活動は
非常に大事だと思います。
私もしっかりと意識して、
うじな通はもちろんのこと、
南区通にならねばと、決意しています。


●●2008年4月26日●●


「第79回 広島県中央メーデー。 」

朝9時から、
メーデー会場となる広島市中央公園までデモ行進。
10時からは式典が開催されました。

メーデー宣言では、
「今やパートや派遣社員などの
非正規労働者が1700万人を超え、
全雇用者の三分の一に達している。
年収200万円以下の世帯は20%を超え、
生活保護水準以下の低賃金で働く
ワーキングプアの増加など、
低所得者層の拡大・固定化は深刻である」
としています。

こうした格差是正の声を上げ、
それを政治的にも現実化していける組織は、
連合しかないと考えています。
与党側も格差問題を指摘はしますが、
その格差の恩恵をこうむっている
団体の支持が強いわけですから、
是正などできるはずがありません。
今後ともしっかりと連携して、
活動を強化していきたいと思います。


●●2008年4月27日●●


「衆議院山口2区補欠選挙。 」

午後8時過ぎに
民主候補の当選確実が出ました(NHK)。
先週末に、
自民候補猛追と報道がありましたが、
その後その勢いは止まったとの情報もあり、
民主党にとっては大きな勝利です。

この「何時に当確がでるか」というのは、
国政選挙を二度経験したことのある私にとっては、
いやな思い出でもあり、
一方選挙報道のメインイベントでもあり、
今回も注視していましたが、
最速の報道になりました。

これで政局にも変化があると思いますが、
自民党は完全に民意とかけ離れてしまっている、
ということが明らかになったと思います。
政治は民意だけがその構成要素ではありませんが、
説得力のある本気の主張がなされなければ
選挙を戦う意味すらありません。
今回は争点ぼかし、
地域活性化という使い古されたフレーズに
有権者は全く反応しなかった、
ということだと思います。
自民党の固い支持基盤であった地域組織と、
それを支え続けてきた高齢者の動向、
無党派層の動き等みれば明らかです。
民意、そして庶民感覚とかけはなれた福田政権は、
早晩総辞職せざるを得ない状況になるでしょう。


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