こうじマガジンNO.148(2007.05.16) | |||
△▼**▲▽**△▼**▲▽**△▼**▲▽**△▼ こうじマガジン NO.148 △▼**▲▽**△▼**▲▽**△▼**▲▽**△▼ 「2007年4月21日から2007年5月9日までのダイアリー」 ●●2007年04月21日●● 「久しぶりに自主トレ、ソフトバレー、そしてクレーム」 午前中は事務所で事務作業に追われました。 午後は 久しぶりに自主トレ(元宇品コース)。 選挙準備に追われて、久しぶりに走りましたが 足ががくがくです。 パワーウォークで毎日4時間近くは歩いてましたが、 走る筋肉とは違うのか、1時間10qのコースは かなりこたえました。 次第に慣らしていきたいと思います。 夜は宇品体協ソフトバレーにも参加。 すでに筋肉痛が始まっています。 さらに今日は 96歳のおばあちゃんからクレームをいただきました。 宇品にお住まいのこのおばあちゃんは、 私を孫のようにかわいがってくれ、 今回の選挙も力いっぱい応援していただきました。 2週間近くたってもあいさつに来ない、 というのがクレームです。 夕方すぐにおうかがいいたしました。 1時間近くお話しましたが、4年後の選挙は100歳になるが、 また頑張ろうね、と言っていただけました。 こうしたご支援には本当に感謝いたしております。 ご期待にそえるよう頑張ります。 ●●2007年04月22日●● 「統一地方選後半戦投票日」 早いもので、県議選の投票日から2週間が経過しました。 ずいぶん前のことのように感じます。 それだけ充実した、密度の濃い、 全力を尽くした戦いだったんだ、と思い返します。 今日は、 政令市以外の一般市の市長・市議会、 町議会等の統一選後半戦の投票日です。 朝から雨で、投票率が心配されましたが、 全国的に低落傾向にあるようです。 注目していたのは長崎市長選。 あの銃撃事件から、伊藤市長の娘婿さんと、 長崎市の職員との一騎打ちという構図でした。 突然の事件だったので、選挙戦がどうなるのか、 と注目しておりました。 選挙期間中の候補者、 それも現職の市長を銃撃するというこの事件は、 民主主義に対する暴挙で、許すことはできません。 しかし、 民主主義のルールは残酷で、残り二日の選挙戦で 雌雄を決しなくてはなりません。 ご家族の悲しみや、市民の不安そして怒りといったものは、 全く考慮されていないということです。 私は市長というポストは権力ですから、 主要政党等長崎政界の動きがポイントだ と思いましたが、 突然のことで、十分な意思決定もないまま、 戦いに突入した、 つまり機能しなかったのではないか、と思います。 政治的な意思決定には時間がかかります。 政治的老練さというのは、この時間をかける、 という部分が非常に大きいと感じています。 強烈な反対論や意見の相違を乗り越えるためには、 いわゆる冷却期間を置く、ことが最善の策です。 今回はそうした政治的動きとは無縁の、 世襲の是非を問う戦いになったようです。 結果は市職員の勝ちでした。 これが賢明な判断だったのかは、 これからにかかっています。 権力を構成していた勢力が これをどう捉えていくのか、がポイントです。 いろんな課題を考えさせられた戦いでした。 一方、 松下政経塾の先輩・後輩もこの後半戦で戦っていました。 結果は9戦中6勝3敗でした。 前半戦が19戦中16勝3敗ですから、 28戦22勝6敗という結果でした。 これで、政経塾出身の議員は、 都道府県議会議員が16名、 市区町議会議員が14名、 知事が2名、 市区長が7名、 衆議院議員が28名、 参議院議員が2名と、 計69名となりました。 卒塾生が227名ですから、 約3割が議員として活躍していることになります。 残念ながら出身議員が一同に会し、 議論するような場はありません。 既存政党の枠や、既に25年近い歴史の中で、 お会いしたこともない方もおられます。 私にとっては、心の支えとしての役割が大きい と思っています。 常に初心に帰れる場所でもあるので、 これからもこのつながりは大事にしていきたいと思います。 ●●2007年04月23日●● 「宇品築港118周年記念式典、千田翁顕彰祭」 朝8時から、 宇品ジャスコ前街頭演説。 10時からは宇品の千田廟公園にて、 広島県・市が主催の宇品築港118周年記念式典、 終了後、千田翁顕彰祭に参加しました。 明治期に、 宇品築港に心血を注いだ千田 貞暁公は薩摩藩出身。 相次ぐ天災に見舞われ、難航した築港工事でしたが、 私財をなげうって臨んだと言われています。 後、新潟県令に左遷された、と教わりましたが、 当時の新潟県は広島県よりはるかに雄県だったこと、 これより後に千田公は 貴族院議員になっていること等を考えると、 決して左遷ではなかったのでは、 と私は考えています。 このあたりの歴史の真実はどうであったのか、 興味を持っています。 いずれにいたしましても、千田廟前での顕彰祭は、 その功績に思いをはせるもので、 地域の大事な行事であることは間違いありません。 午後は、 三菱重工労組広島支部の執行委員会で、 ごあいさつをさせていただき、 その後夜は懇親会。 ●●2007年04月24日●● 「会派結成 民主県政会」 午前中は、 学生インターン事業を実施している ドットジェイピーのスタッフが来訪。 今回の選挙では、この学生インターンが 大活躍してくれました。 お昼は三原市へ移動。 ご推薦をいただいた基幹労連広島支部 (鉄鋼、造船、機械産業の労働組合の連合体) の役員会で、ごあいさつをさせていただきました。 3時からは 県議会で会派結成の手続き。 すでに4月20日のブログでご報告の通り、 新人6名を含む15名で会派結成をいたしました。 会長は、大曽根 哲夫議員(広島市安芸区)、 幹事長は、宮 政利議員(呉市)、 私は政調会長というお役をいただきました。 15名の会派ですから役割は重要です。 頑張って参ります。 夜は会派懇親会。 ●●2007年04月25日●● 「硫黄島からの手紙」 観たい観たいと思いながら、 選挙で余裕がなく見れなかった映画 「硫黄島からの手紙」 のDVDが発売されたので、 早速買って観ました。 今から22年前、防衛大学校4年生の夏、 当時の土田 国保学校長が、 硫黄島研修を提案され、 第一回の研修に参加しました。 輸送船に3泊して移動、 現地では戦跡を歩いて回りました。 この硫黄島での戦闘が、 早期終戦、戦後日本の経済的発展に結びついた と私は考えています。 地下にもぐってゲリラ戦を展開する、 敵に大量の出血を強要する、民主主義国アメリカの世論が 早期の戦争終結に向う、というシナリオは、 この硫黄島の戦闘がオリジナルだと思います。 その集大成がベトナム戦争です。 べトコンの指導者は、硫黄島の戦いを参考にしている と思います。 映画ではそのあたりの戦略的な部分は描かれてませんが、 渡辺 謙はやはりかっこいい。 ラストサムライ以来のファンです。 20年以上経って再び、 硫黄島について考える機会がもてました。 ●●2007年04月26日●● 「議会の動き」 朝9時から、 県警の方と地域課題について打ち合わせ。 午後から県議会へ。 どうも会派結成が進んでいないようです。 自民党議員会(28名の最大会派でしたが、 現在15名程度になっているようです)が、 分裂した他の自民党会派への一本化の動きを強めている とのことでした。 一本化は困難との見通しだと聞いていますが、 今後の動きに注目しています。 夕方は自主トレ(大芝水門コース)。 ●●2007年04月27日●● 「インターン生」 四年前、大学1年生の時に 私の事務所にインターンに来て、 今年大手のコンビニチェーンに 就職して東京に出たNさんが、 連休ということで、事務所に顔を出してくれました。 大学時代4年間の彼女の成長を見てきたので、 真剣に働いている姿を見るとたのもしく思います。 学生たちとのこうしたご縁は、 これからも大事にしていきたいと思います。 ●●2007年04月28日●● 「第78回広島県中央メーデー」 朝10時から 連合広島主催の第78回広島県中央メーデーに参加 (広島市中央公園、参加者約1万人)。 メーデーの起源は、1886年5月1日に アメリカの労働者が8時間労働制を求めて、 ゼネストに立ち上がったことだそうです。 日本では、1920年5月2日に 第1回メーデーが開かれています。 日本では、ちょうど5月の連休に入るため、 今日の4月28日に開催されています。 「格差是正」が大きなテーマですが、 7月の参院選に向けたアピールが主体です。 与党過半数割れに追い込めるか、 が勝負ですが、 政権交代に向けたシナリオはまだはっきりしていません。 この9月で 衆議院議員の任期も2年を迎えます。 解散総選挙も近いという声も聞くようになりました。 今後の政局の動きにも注目していきます。 ●●2007年04月29日●● 「朝起き会」 朝4時に起床して、 小学校2年生の長男とともに 朝起き会に参加。 会創立61周年の記念朝起きでした。 もう18年近く 折々に参加させていただいております。 原点を見直す、 目の前の欲望を絶つ、 という意味で、 私にとっては貴重な場です。 ●●2007年05月01日●● 「会派結成の状況」 選挙後の新しい会派の結成状況が 明らかになりました。 最大会派は自民刷新会議で16名、 第二会派が、私の所属する民主県政会で15名、 そして改選前まで最大会派であった自民議員会は、 14名に大きく所属議員を減らしました。 さらに公明党が6名、 自民議員会から分離した自民広誠会が5名です。 ここまでがいわゆる交渉会派 (議会運営委員会にその代表が出せる会派)となります。 56名が交渉会派に所属していることになりますが、 それ以下の会派は、 自民議員会から分離した自民立志会が3名、 自民良政会が2名、 新人議員からなるつばさが2名、 共産党等1人会派は3名 ということになりました。 この会派がどう多数派を形成するのか、 が次の焦点です。 4年前は、 臨時議会前日に新たな動きがあり、 多数派形成が一気に逆転した、 というドラマがありましたが、 今回もどうなるか予断を許しません。 大きな流れは、前回の自民分裂が続くのか、 それとも一本化するのか、がポイントです。 選挙結果を総括すると、 自民系が大きく議席を減らしたのは事実ですが、 自民系の会派だけで40名になり、 圧倒的多数であることに変わりはありません。 連休をはさんで どういう動きになっていくのか、 そしてなにより、県民視点で どう多数派が形成されるのがいいのか、 しっかりと見極めていきたいと思います。 ●●2007年05月02日●● 「議会運営協議会」 朝8時から 皆実町六丁目交差点にて街頭演説。 11時からは、臨時議会の日程を決める 議会運営協議会に出席。 臨時議会は、5月9日、10日と決定いたしました。 その後、1時過ぎから会派会議。 今後の対応や、 会派運営につきまして協議しました。 ●●2007年05月07日●● 「連休明け、そして始動」 朝8時から 鶴見橋東詰め交差点にて街頭演説。 連休中は、子どもたちと、 フラワーフェスティバルや県立美術館、 森林公園に行ったりして過ごしました。 どこか遠出をとも思いましたが、 選挙が終わり、落ち着いた時には、 すでにどこも予約できず、 自主トレや読書に充てることにしました。 10時には県議会で会派幹事会。 議長選に向け、 自民刷新会議の林 正夫議員(広島市中区)が、 正式に立候補を決意され、 わが会派にごあいさつにこられました。 林議員は当選6回、 8年前、当時の檜山体制に反旗をひるがえされ、 4年前に自民党議員会を割って、 自民刷新会を結成されました。 まさに県議会改革のスタートを切った行動を 起こされたわけです。 今回いよいよ議長へ、ということで、 これから多数派形成に動かれることになります。 10時半からは会派総会。 午後は、 介護保険制度についてのご相談を受けました。 3時半から、再び会派総会。 議長選への対応も含め、議論しました。 基本的には会派として、 「林議長選出に向け、協力していこう」、 ということになりました。 ただ、知事後援会問題についての対応において、 「早急な解決を求める」ということを申し入れました。 県民に広がっている政治不信の払拭こそ、 県議会の最大の課題です。 今後は、多数派形成に向け、 いろんな動きがあると思います。 しっかりと注視していこうと思います。 ●●2007年05月08日●● 「自民党一本化の動き」 県議会議長の選挙をめぐり、 自民党所属の議員で一本化しよう という動きが活発です。 どうも 今まで対立してきた自民党議員会のほうも、 その考え方のもと、議長選挙では林議員を推すようです。 ただ8年間にわたって対立してきた溝は深いようで、 この構想は実現しそうにありません。 議会改革という考え方には2つの要素があります。 一つは、 情報公開も含め、県民に開かれた、という点です。 議員それぞれが議会報告に努めること は当然ですが、議会として何ができるか、という視点も大事です。 もう一つは、 議会内において少数会派の意見をどう反映させるか、 という点です。 議会人事や質問の回数等、具体的な議会運営に 偏りがあってはいけません。 さらには、 知事部局との関係をどうするのか、 という点も重要です。 議会は民意を反映する機関ですから、 当然知事部局とは独立した機関であり、 行政施策を厳しくチェックするとともに、 立法機関としての議決権も フルに活用していく必要があります。 こうしたことを 県民視点でどう展開するのか、 が議会の本来業務で、 4年前以前は、こうした点に大きな問題があった、 と言えます。 かりに自民党が一本化したら、 また元に戻るのではないか、 という不安があるのも事実です。 明日はいよいよ議長・副議長選挙を迎えますが、 どういう結果になるのか、予断を許しません。 ●●2007年05月09日●● 「5月臨時県議会」 いよいよ改選後初の議会です。 新人の議員さんにとっては初めて議場に入るわけですが、 私も議席が3列目になり (全部で5列あり、前から新人が座ることになっています)、 年齢的には7番目に若いことになりますが、 30代の議員も5人と意識的には中堅どころといった感じです。 予想に反して10時半定刻に開会。 議事も淡々と進み、 議長選挙は、 55票(総数66票)で林 正夫議員(広島市中区)に、 副議長選挙は 過半数の35票で蒲原 敏博議員(広島市東区)に 決まりました。 前期は、人事に限らず 議案でも投票になるともつれることが多く、 時間がかかっておりましたが、 以外にすんなりと進みました。 これで改選後の新しい県議会が 本格的にスタートします。 |
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