2001年10月フォトレポート (2)
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10月15日(月)諫早市へ視察。メンバーは5名。午後現地に入り、諫早市環境センターを訪問いたしました。ここは、何といっても、昭和62年3月既に溶融施設を作り、14年の処理実績があるということで、各地から視察がある施設です(広島県にはまだ溶融施設はありません)。市長の先見性が評価されます。12万人の人口で、年間3.6万tのゴミが発生、焼却により、8%に減量され、溶融処理で92%の無害化されたスラグになり、最終処分場に処分されるということです。スラグの10%はリサイクルされるということです。諫早市泊。 |
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諫早市環境センター、埋立灰と焼却灰です。 |
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NO.5(左の)写真を溶融処理した後のスラグです。 |
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融解施設の心臓部である、炉の部分です。 |
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諫早市環境センターの全景です。 |
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10月16日(火)翌日は、有名な諫早湾干拓事業について、視察いたしました。マスコミでもよく報道されるので、ご存知と思いますが、昭和61年からの計画で、総工費2490億円、農地造成と、防災対策を目的としたものです。ムツゴロウで有名な干潟を埋め立てるこの計画はムダな公共事業の代名詞のようになっていますが、現地にいってみて、ペンペン草だらけの干拓された農地、かつての豊かな干潟の話、比較して見ると、とんでもない事業を強行したものだと感じました。ただ、この干拓事業で潤っている業者や住民も多く、開発は自然保護か、という選択以前に、生活というテーマが重くのしかかっています。平成9年の堤防締め切り(ギロチン)の映像は強烈でしたが、あれから4年、干潟は失われ、悲惨な姿でした。 |
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バックにうっすら見えるのが、干拓事業の潮受堤防です。(左は山口氏康元市議) |
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反対運動の拠点となった故・山下弘文氏の自宅にて。前列中央の女性が奥様で諫早干潟緊急対策技術本部の代表です。後列左は、この問題で、国家賠償を求め紛争中の森さんです。 |
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